シーンごと考察
母・久子の死
「戦禍で病院が燃えて亡くなった」という考察もあるようですが多分病院が燃えたのは空襲じゃなくてただの火事です。
本土空襲が始まったのは1944年頃の戦争後期(終戦は1945年)、久子の死から三年後に眞人が疎開しているので、時系列が合わなくなります。
寝間着で駆け出しかけ、慌てて戻って着替えるシーン
冒頭で「緊急時、寝間着のまま駆け出すあわてんぼのようでいて、そのまま行くより着替えた方が良いと思える冷静さも兼ね揃えた人物」という眞人の性格描写が為されていました。
大火事
手描きアニメーションで大火事を描く手法として一つの到達点なのだなと思うと感慨深いです。何度も観たい表現手法です。
疎開
駅から家に入るまで、ナツコには終始無言の眞人。
新しい母親を受け入れなければならない気持ちと受け入れられない葛藤が表情から見て取れます。
この映画のテーマの一つは「母」です。
果たして最後にはナツコを母と呼べるでしょうか。
ダットサンで登校
欲しがりません勝つまではの時代に、ガソリンばんばん燃やして車で登校するのはさぞ気まずいでしょう。
これは宮崎駿本人のフェイク入り自伝ですね。
眞人の自傷行為
受け入れられない母、登校の気まずい思い、さらにモブたちにフルボッコにされて眞人は自傷行為に走ります。
この自傷行為、お父さんは学校にモンペしに行きましたが、ナツコはある程度真相をわかってたようです。
ナツコへの拒絶が鮮明になります。
ここまで主人公としては外観的にキャラが弱くて心配だったのですが、治療のために右側だけツーブロックという主人公らしい奇抜な髪型になってくれて安心しました。
アオサギとの木刀対決
トトロで言うところの「夢だけど、夢じゃ無かった」シーン。
木刀を粉砕されカエルに包まれてるところをナツコの弓で助けられます。
ナツコはアオサギの覗きを弓で撃退できるほど強い人間だったのだけど、懇願していたお見舞での眞人の態度による拒絶で心をボッキリ折られます。
いわゆる〈下の世界〉へ
アオサギがキモおじに変身。
アオサギに誘われ、ナツコを追って眞人とキリコはいわゆる〈下の世界〉へ飲み込まれていきます。
〈下の世界〉のスポーン地点
ここが本当によくわからない箇所。
ペリカンの大群に押されて「我ヲ學ブ者ハ死ス」と刻まれている墓の門を開けてしまい、船で駆けつけた若いキリコに助けられ、「墓の主が起きるよ!」などと脅されつつも謎の儀式で墓の島から脱出。
このシーンの意味は多分「〈下の世界〉は謎の理不尽なルールに支配されている」という印象を付けるためにあったのだと思います。
墓の主誰?ペリカン何?とは思いますが、宮崎駿の中では全部に意味があるのでしょう。
「千と千尋の神隠し」の時も、異世界では食べ物を食べないと透明になるし、食べ過ぎると豚になるとか、謎の理不尽ルールに支配されてましたっけ。
理解しなくても絵的に面白ければOK。
キリコのおうち
〈下の世界〉はわらわらが天に昇っていくと人間が産まれる世界。わらわらを食らうペリカンはもと人間。
地獄でもなく、まして天国でもない世界。
まるで生まれたてのウミガメが海に到達するまでに砂浜で海鳥に食われてしまうかのよう。
わらわら
もののけ姫のこだまを想起させますがもっとかわいい、まっしろしろすけ。
これはグッズが売れそうです。
ヒミとの出会い
ここで幼少期のオカン、ヒミとファーストコンタクト。
ヒミは多少わらわらを燃やしてでもペリカンを燃やします。
容赦ない娘という印象を与えます。
ババア達の木像
触るなって言ってんのに、触ったら傷ついたペリカンが庭に降ってきます。
ここでペリカンの謎がわかります。
わらわらを食う方も悪意で食ってるわけじゃないと理解します。
アオサギとナツコ探しの旅へ
旅してる間になんだかんだでアオサギと眞人は仲良くなっちゃいます。
敵と思ったら味方になっちゃう、宮崎駿映画ではあるあるです。
インコの群れと遭遇
インコの造形と動き、素晴らしいですね!
これもまたグッズが売れそうです。
ヒミとの再会
ヒミのキャラデザは宮崎駿が大好きな感じのやつ。
ナツコのことを「ナツコって妹?」とか言うので、幼少期のオカンであることがなんとなくわかります。
「戦時中の妹と言えばナツコじゃなくて節子や!」と心の中でツッコミました。
一旦〈上の世界〉へ
語呂合わせ的にナツコの扉は「725」かなと思ったら、〈上の世界〉の扉は「132」でした。
そう、語呂合わせ的に「ヒミツ」です。
産屋でナツコと対面
やっと会えたナツコが拒絶した眞人への怒りでバチクソキレてます。
ここは「すずめの戸締まり」での急に叔母さんにバチクソキレられシーンと重なりました。
「すずめの戸締まり」を履修していれば理解できますが、この怒りは本心ではなく、それでいて本心なのです。
インコのコックさん
捕まった眞人を料理しようとしているインコのコックさんめっちゃ好きです。
料理するたびにあの動きを真似したいです。
ここからアクション多め
崩れおちる足場を駆け抜けるシーン、ほんと好きですね宮崎駿。
連続で見られます。
大叔父様と邂逅
大叔父様は膨大な時間と空間を使って一人でこの世界を守っているようです。
眞人に交代を持ちかけますが、あえなく拒否。
それにしても大叔父様がこんなに頑張って守ってる世界ってインコが支配するちっぽけな〈下の世界〉だけかよ!
そう、偉そうなオッサンが労力を割いて必死に守ってるものって、意外とちっぽけななものだったりします。
会社とか。
インコ大王の暴走
結局、インコ大王が暴走して自らの世界を破壊します。
そう、偉そうなオッサンというのは他人を見下し自分だけが正しいと思い、暴走して自滅します。
会社とかで。
この辺のオッサン論は宮崎駿の漫画でよく語られてるので読んでみると面白いです。
そして〈上の世界〉へ
また崩れおちる足場を走ったり飛んだりして駆け抜け、ヒミツの扉を開けて〈上の世界〉へ戻ります。
このとき、若いキリコはヒミと一緒の扉を出て行きます。
キリコ、おまえ〈下の世界〉への転生は二度目だったんかーい!
エンディング
どうやらナツコの子は男子でしたね。
大叔父様はナツコやナツコの子も後継ぎに狙っていたのでしょうか。
〈下の世界〉は時間と空間が曖昧なので、幼少期のオカン・久子と若いキリコが過ごした現世での一年分は〈下の世界〉の何十年分なのかわかりません。膨大な時間と空間を過ごし知識と経験を得たけど、〈上の世界〉に戻った瞬間に全てを忘れたようです。
この「不思議な家を出てっておしまい」という突き放した感じのエンディングは、千と千尋の神隠しを彷彿させます。
宮崎駿の集大成
よく言われるけど、ラピュタを観たときは「さらば愛しきルパン」や「未来少年コナン」の集大成だと思ったし、ラピュタ以降の宮崎駿監督映画は常に集大成なんじゃないですかね。
宮崎駿は作品毎にターゲット層を考えてますが、この作品は「(自分のように)ひねくれた少年」に向けているようです。
コナンやパズーのように純粋無垢な少年ではなく、屈折した悪意を合わせ持つ少年、それがこの映画の主人公・眞人です。