Introduction
こんにちは。阿豆らいち(@AzuLitchi)です。
中島義道のエッセイ「うるさい日本の私」を読んでの感想です。
「うるさい日本の私」中島義道
哲学者 中島義道のエッセイ。
あらすじ
とかく日本は騒々しい。
バスに乗れば広告と乗車中の注意と停留所の案内。電車の中も乗車中の注意と乗り換え案内。百貨店のエスカレーターでは乗降の注意案内。海岸では「お弁当を持って来た人は食中毒に注意しましょう」などといったような謎放送がひっきりなしに流れてくる…。
著者はいちいちそれぞれの責任者に抗議の連絡を入れ、戦いを挑み、概ね敗北し、たまに勝利を勝ち取る(その戦歴の詳細が記される)。
これらの騒々しい放送は全てマジョリティによる優しさから来る注意喚起であり、この音を騒音と感じるマイノリティにとっては「優しさ」という名の暴力を行使されている。
日本人の美意識に「語らない」「対話をしない」ことがあり、その延長線上に「思いやり」「優しさ(という名の暴力)」がある。
日本の「音漬け社会」の解決策として「察する」という美学から「語る」美学へ変形させてはどうだろうか・・・という提言で締めくくられる。
感想
なんだか笑えました、というのが素直な感想です。
「何と戦ってるんだこの人は」という笑いもありました。勝ち目のない勝負とわかっていて立ち向かい、挫折する姿を自ら描くスタイルがコメディにも感じられました。
私は在宅フリーランスで外出少ないので、そこまで街中の騒音をうるさいとは感じません。でも近所を走りまわる選挙カーはうるさいと感じます。
その他、石焼き芋や灯油の販売者、消防団による火災注意などは通り抜ける瞬間、音を使った生活が破壊されるので困るなあとは思います。
また、現在日本の本州の中央部は米軍の制空域となっていて、この空の下に住んでいる住人は米軍機の騒音にさらされることになります。
日本の空なのに航空機が飛べない「横田空域」はなぜ存在しているのか(2015年5月20日) - エキサイトニュース(1/2)
たまにヘリの編隊や音速機のソニック・ブームみたいなやつ来ると家の窓ガラスがビリビリしてやはり音の生活が破壊されます。
※実際にはこんなふうに肉眼で見える高度ではない
このような騒音、私はうるさいなーとは思いますが、騒音を発生させている人達にもそれぞれに生活や正義があるので、私は騒音と戦いもせず、通り過ぎるまでひたすら耐えてるだけです。
察する文化から語り合う文化へ…というのも良し悪しで、諸事情によりあえて語らない、語れないこともままあるので「そこはお察しください」というのも別に悪いことでもない気がします。
ただ私は、すぐ感情的にならず語り合えば本旨を理解できる人間の方が好きです。
さらに感想の感想
この本をオススメしてくれたid:minimalgreenさんのコメント
まずこの本をこの方がおそらく共感しながら読んでいて、その上でらいちの性格からこの本に共感するだろうなと思ってるとこ、まんまと一部共感してしまうとことか、そういうとこも含めてなんだか笑えました。
多分ブログやってなかったら読まなかった本だと思います。ありがとうございました。
騒々しい未来を痛烈に皮肉っている話といえば、筒井康隆の短編「にぎやかな未来」を思い出します。
「レコード」や「500円札」が登場するのもフューチャーレトロと取れば味わい深いです。小学生向けの読み聞かせで何度か朗読しました。
まとめ
それではまた…さよならいち!・∀・)ノ