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6時間歩き続けることができなかった日【3・11の思い出】

こんにちは。阿豆らいち(@AzuLitchi)です。

こちらの過去記事で…

6時間くらい歩き続けることができなくて困ったことはありました。今は1kmを10分で移動し続ける体力を維持するようトレーニングしています。

と書きました。この件が2011年3月11日のことでした。

その「6時間くらい歩き続けることができなくて困った日」の思い出を当時の手記をもとに書きます。7ヶ月前の伏線回収です。

とうじょうじんぶつ

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阿豆らいち:
フリーランスのデザイナー。たまに営業にでかける。

 

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ミンスクさん:
らいちの妻。稀に営業に付き合う。

 

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i(アイ):
らいちの娘。当時小学生。

 

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j(ジェイ):
らいちの息子。当時卒園間近の保育園児。

 

6時間歩き続けられなかった日【3.11の思い出】

ちょうど7年前の2011年3月11日金曜日。自宅フリーランスで普段ヒキコモリな私たちですが、たまたまこの日はクライアントの展示会に出向いてご挨拶する約束があり、都内に行ってました。そこで・・・

 

地震発生

遅めの昼食後、14:50発の電車に乗り込んで発車を待っていた時に大地震が発生。

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車内も相当揺れたし、ホームで立ってる人は倒れそうなくらい揺れた。一旦ホームに出され発車のベルが鳴り響くも電車は発車せず。また乗り込むが再度ホームに出され、余震。これもデカイ。いくら待っても電車は発車せず、ついに改札の外に出された。

混乱する現場。

 

繋がらない電話

復旧は16時の見通しとアナウンス。その場にとどまって情報を得る。日本でiPhoneが発売されてまだ3年足らず、ガラケー全盛期だ。携帯電話の回線は見事にパンク。キャリアメールもパンクによる大遅延。公衆電話には長蛇の列。

だが私のPHSはマイクロセル方式のため電話をかけることはできた。保育園やママ友にPHSで何度も電話してみたが、一般電話回線もパンクしていて全然繋がらない。伝言ダイヤルは「被災地の方のみご利用できます」と言われてしまう。都内は被災地ではないのだ。

PHSの劇遅64K回線でモバツイ見たらTwitterは生きていた。

乗ろうとしていた路線で

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「線路歩いて避難してる」というツイートを発見した。一旦線路に一般人を歩かせたら、安全確認のためにさらに時間が食われることになる。これではいつまで待っても復旧しないと確信した。

 

この時「サーバが倒れてきて潰されて死にかけてる」などというデマ流した人と、それらをリツイートしまくってた人達は猛省して欲しい。遅い回線で必要な情報がなかなか得られなくて閉口した。 

 

地震発生から2時間後、歩き始める

地震発生から二時間経ったが一向に電車が動き出す気配がない。駅員に怒鳴りつける客もいる。それで何も事態は好転しないのに。

ここが判断の時だ。

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ミンスクさんと一緒に歩いて帰る決意をした。

17時、駅をでて徒歩で出発。街道は車も人も大渋滞が始まっていた。

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歩きながら何度かリトライしてたら、奇跡的に保育園の先生と電話が繋がった。事情を説明したら「ジェイのことは心配しなくていい」とのこと。まずは安心。

小学校には相変わらず電話が繋がらない。

 

17:30、保育園から着電。担任の先生と一緒に歩いているアイを発見し、保育園で保護したとのこと。担任の先生にも電話で状況を説明してもらった。すごい機転の利く先生達だな。

保育園の先生は「どんなに遅くなっても待ってます!」と言ってくれた。先生にも家族はいるのに…。

帰るしかない。

 

歩きながら見えたもの

それにしても街道の歩道が混んでて歩きにくい。人の波の速度に合わせて歩かなければならない。時速6kmはとても出ない。

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途中に「無料開放」と書いてある施設があった。なにかのイベント中だったのだろうか。

 

今日が卒業式だった学校もあったようだ。袴姿の女学生が草履を手に持ってスリッパで歩き続けているのを見かけた。

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自転車屋さんが繁盛してた。自転車買って乗って帰ろうってことなんだろうか。うちは二人だからかえって危険かもしれない。なにしろ歩道も車道も人と車で大渋滞なのだ。

ところどころビルの壁やガラスが崩れて落下している。地震発生時にこの下にいたらやばかったな…。

周囲の人は体力的にも精神的にも皆疲労してイライラしているのが感じ取れる。無言で耐えて歩いているが狭い歩道で歩きながら時々肩がぶつかり合う。

一触即発の空気。

 

歩き始めて3時間

歩き始めてほどなく腿がつらくなってきたが、2〜3時間ほどでちょっとフラついてきた。体力の限界を超えるとおもわぬ怪我をしそうだ。

日が暮れて気温もグッと下がって来た。寒さも容赦なく体力と精神力を奪い取る。

キビキビ歩いているミンスクさんも時々街路樹にぶつかっている。本人はぶつかっていることにすら気付いていないようだ。

 

帰路の半分地点くらいのコンビニ駐車場で休憩を取った。立ち止まってよく見ていると

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空車のタクシーが時々通ってる。もしかしたらもう歩くより車の方が早いかも・・・?

 

空車のタクシーに声をかけたらちょうどうちまで営業区域内で乗せてくれた。

20時。よし!家が近くなったぞ。なにより暖かくて座ったままストレッチも出来る

 

保育園の神対応

タクシーから保育園に電話したら園長先生が出た。もう保育園にはうちの子達しか居ないそうだ。

20:30。家のお隣さんと連絡がついた。保育園へ子供達を迎えに行って預かってくれると申し出てくれる。園長先生にも早く帰宅して欲しい。うちの子たちもお隣さんに懐いているし、その方が良さそうと判断。また保育園に電話して、その旨伝えておく。園長先生もホッとしたようだ。

子供達は保育園で出してくれた軽食を食べていた。これで晩飯を子供達に食べさせる心配も消えた。

この時の担任の先生と保育園の先生方の対応には今考えても感謝しかない。本当に助かった。

 

タクシーのありがたみ

22時過ぎたらタクシー料金も二割増しになった。メーターの進みが早い。時速3kmくらいでしか進めてない気がする。家まで一体いくらかかるんだろう。そして何時に到着するんだろう。まだ歩道は人で大渋滞。今更また歩くのも無理しすぎだし

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…と思っていたら、22:15、タクシーでかけてくれていたラジオが電車の運転再開を報じた。ちょうど駅前だ。タクシーを降りた。

料金は7370円。二人で移動しながら温かい場所で休憩出来て、ラジオの情報も入手できたんだからまあいいかって価格。

 

電車のありがたみ、やっと再会

駅では改札を無料開放していた。22:30に電車に搭乗。二人とも座れた。全線普通運転で、徐行運転だけど、タクシーより全然早い!

22:50に自宅の最寄り駅到着。

 

帰宅の前に、お隣さん宅に真っ先に寄る。お隣さんに一部始終を報告。やっと子供達と再会できた!

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自宅に帰ってから分かった状況

自宅に帰ってテレビを観て、ようやくことの壮絶さに気が付いた。

なるほど私とミンスクさんは「帰宅困難者」だったのか。途中で無料開放と書いてあった施設

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あれは帰宅困難者が宿泊して良い施設だったんだな…。

自分が帰宅困難者と名付けられてたことは、帰宅してからわかったことだった。

 

後にこの震災は「東日本大震災」と名付けられた。

 

まとめ

テレビの情報を見ていたら興奮が収まらず、寝られたのは3時を回ってからでした。

翌日以降からガソリンと食料が店から消え、余震とガイガーカウンターの数値に怯えつつ、輪番停電で仕事時間さえも奪われる生活が始まっていくのですが

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この時はただ安堵のため息とともに入浴し就寝しました。水道水は濁っていました。

 

今考えると、割と良い選択をして最速の帰宅方法を取れたのではないかと思います。

非日常時は手持ちの道具と自分の知識を総動員して乗り切る覚悟が必要です。

 

また、備えるべき物は備え、語り継ぐべきものは語り継ぐ必要があると思います。

 

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それではまた…さよならいち!・∀・)ノ